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神回!!
三木大運さんは話が上手い!
ありがとうございます。
Thank you for your teachings Chief Priest Miki Daiun 🙏🏻😌
いつも有難く学ばさせていただきありがとうございます。お説法を伺い涙がこぼれます。これからもお元気でご活躍をお祈りしています。
大雲和尚様🎉絵‼️素敵です。😂何度聞いても、そうだよね➰😅って、思うお話。
大変興味深く勉強になりました。ありがとうございました。🙏
説法ありがとうございました
「くもです」と、念をおされる三木さん。
瞑想するとおっしゃてる意味が良く解ります。有難うございました。
とても分かり易かったです。ありがとうございます。
泣きました ありがとうございます
勉強になりました。ありがとうございます。
初めましてニ木和尚毎日聞いています初めは日蓮宗で聞いていましたあこれからもききます
お釈迦様かわいい・・です
🕷️は8本足やで(笑)😆お釈迦様の絵がめっちゃ可愛い‼️
大学でキリスト教を少し学んでみましたが肌に合わなかったです。これから仏教をちゃんと勉強してみたいと思いました。為になるお説教を賜りありがとうございました。
@@玲央-t7x カトリック教会での性的虐待の話をご存知ですか?どの宗教、どの世界にもあります。表面的な事ではなく(宗教にこだわっているのはどなたです?)様々な教えの中にある本質に感動、共鳴する事が大切で、この方もキリスト教を槍玉に上げたのではなく、この話の中に感動を覚えたから書いたのではないのでしょか。あげ足取りは戦いの元。これを書くのもナンセンスかと思いましたが、言葉尻を取るのではなく、何を伝えたいのか見る力を身につけた方が良いのではと思いました。
@@玲央-t7x 自分が正しいと思って信仰している事に、ケチを付けられると腹が立ちますよね。信仰即生活、と言われています。教えが浅く、低いと、いずれ行き詰まりまると言われています。歴史上で、白人達に、ほぼ世界中の有色民族が植民地( 奴隷)にされた、事は知っていると思います。なぜでしょう。また、米国には、昔、インデアンが住んでいましたが、ほぼ全員が、虐殺されました。なぜでしょう。
@@dendohdensetsu8987 神を信じることで悲しみを乗り越えてきました。教えが浅いとは思いません。
「わたしは絵心がないんです」って仰ってた三木住職が描かれたお釈迦様、しっかり拝見しました( ´艸`)。いつも大切なお話を有難うございます。
私は、おしゃかさまが、くもの糸をきったとかんちがいしましたっ天国から地獄へーおしゃかさまの気まぐれで、もてあそばれたかんだだが、哀れに思えましたが、浅かったです。あらためて、原作よみたくなりました.p三木住職、ありがとうございます~p
雲さん、流石ですね❗凄く解りやすくて、面白かったです❗(*≧∀≦*)
京都蓮久寺三木大雲上人様が、日蓮大聖人様及びお釈迦様の御霊が入られたかの様な説法を一切衆生にとどきますように。
悪人でも救う仏とは阿弥陀如来の事ですか。仏心[自分の心]クモを助けた天上界の心が少しでも有れば切れななかったのかな。菩提心、感謝の心を備えるのは至難んのことですね。
ありがとうございます。法華経の中にこれほど素晴らしいおしえがあるとは目から鱗です。釈迦牟尼の言葉を基本として、密教では「三平等身」つまり私と衆生と仏この仏とは法身大日如来を指すのですが、自分からみれば相手も仏であり相手を殺したり傷つけることは仏を殺したり、傷つけるということにも言い換えられるのでないかと思います。今回のご法話そのようにご拝聴させて頂きました。デカルトの「我思う。我あり。」とは意味は同じでありますか?
因果応報が来た!
関係ありませんが蜘蛛、良く夢でみます。人が亡くなると必ず出てきます、蜘蛛と天はやっぱり繋がりが深いんでしょうか。
カンダタキック…
カンダダキック!(^^)
因果応報と生まれ変わり死に変わりは絶対に来る!
蜘蛛が呆れて糸切ったのかと思った😆人を見る目が無かったと…😅
カンダタさん、カンダタ君、ウケる。
私が働き 納税することでその税金が他の方の何らかの役に立つと思うだけでもいいのでしょうか?南無妙法蓮華経 合掌
刑務官も死刑囚を殺したくない!
お釈迦様はわきから生まれた、、、ってところの話の怪しさから解かないと、何の話も意味をなさない。先日、新幹線のグリーン車にロレックスの時計をした坊主が派手な女性とニヤニヤと談笑している仏教界ってどうなんですか?欲の塊でしょう。
仏教界なんて界はありません。みな、欲界に生きる仲間です。僧侶の姿をしているからといって、仏になる修行をしているとは限らない。むしろ在家の方の方がそれらしいなんてこと、ありますでしょう。この欲界という道場において、水月(悟り)を求め生きること。それが仏教なのではないでしょうか。一部の人々を指して、仏教を決めつけるのは早計に過ぎます。法の道を求めることに、出家も在家も関係ありません。ようは人としての在り方の問題なのです。あなたがどう在りたいのか。誰かの在り方を咎めるより、己が内に宿る真実を求め生きることが大切なんです。仏教は、この真っ暗で混沌とした世を生きるための、一つのしるべに過ぎない。貴方の迷いを消し、光に向かうための道標になるのなら、べつに他の教えや、自身の見出したものであってもかまわないんです。釈尊も、自らの教えを小舟に喩えました。向こう側(大悟の境地)に行けるのなら、どんな舟でも、用意出来さえすれば良いのだと。釈尊は、それを用意出来ず溺れ苦しんでいる人たちのために、舟をこしらえた。でもその舟は、向こうに着いたら不要だから捨てなさいと、弟子に伝えています。だから、どこかの僧侶が溺れ、堕落しているから仏教は胡散臭くて信用に足らないだなんて、決めつけないでください。一を見ただけで全を否定するのは、幼い子どもの言い訳みたいじゃありませんか。その欲に負けた僧侶も、貴方も、私だって同じ。人は皆等しく弱く、溺れやすいというだけの話です。それにそのロレックス坊主は、応報の学びをしている最中なのかもしれません。誰にも、個人の学びの場を奪うことは出来ませんよ。だから、己が胸に問うてみてください。貴方はどう在りたいのか?何を学びとし、糧にし、人の助けとなるのか?信じられないものは、信じなくたっていい。そういった選択の先に、人間としてどう生きるのか、そしてどう生きたのか。最期は答え合わせの報いを受けるのでしょう。人それぞれに天から課された宿題を解く、その道中なんですよ。最期の答え合わせは、死ぬまでの楽しみにとっておきましょう。そのロレックスの僧侶も、貴方も、私も…。ね?
また、仏教は歴史がとても長いので、釈尊が亡くなった後、弟子たちが、多くの人たちに彼の教えを知ってもらうために、さまざまな尾ひれをつけていったのも事実です。彼の生誕の話も、そのうちの一つでしょう。しかし、原始仏教を辿ると、実はそんな味つけはなされていません。もっと素朴で簡潔な、詩のようなものでした。以下はその例です。音声に驚かない獅子のように網にとらわれない風のように水に汚されない蓮のように犀の角のようにただ独り歩めスッタニパータの一節です。一番最初に釈尊が紡いだ言葉は、虚飾のない、清水のような"うた"だったのです。仏教と言っても、時代が降るほどに、釈尊の教えの解釈が進み、お経もたくさん作られて、元の姿とは全然異なっていたりします。お水の美味しさや有り難さをみんなに知ってもらうために、色んな人たちに飲んでもらえるよう、さまざまな味のジュースへと、弟子たちが改変・改良していったようなものです。そうして元の姿とは全然違っていってしまっても、リレーのように時を超えて受け継がれていく灯火の輝きは、衰えていません。この、時の摩耗に負けない耐久性を鑑みるに、それだけ、釈尊がたどり着いた教えの境地というのは、万物の理にかなう、本質的なものだったのでしょう。貴方にもいつか、好みの味つけの"仏教"と出逢える日が来ると良いなあと、個人的には思います。
神回!!
三木大運さんは話が上手い!
ありがとうございます。
Thank you for your teachings Chief Priest Miki Daiun 🙏🏻😌
いつも有難く学ばさせていただきありがとうございます。
お説法を伺い
涙がこぼれます。
これからもお元気で
ご活躍をお祈りしています。
大雲和尚様🎉
絵‼️素敵です。😂
何度聞いても、そうだよね➰😅って、思うお話。
大変興味深く勉強になりました。ありがとうございました。🙏
説法ありがとうございました
「くもです」と、念をおされる三木さん。
瞑想するとおっしゃてる意味が良く解ります。
有難うございました。
とても分かり易かったです。ありがとうございます。
泣きました
ありがとうございます
勉強になりました。ありがとうございます。
初めましてニ木和尚毎日聞いています初めは日蓮宗で聞いていましたあこれからもききます
お釈迦様かわいい・・です
🕷️は8本足やで(笑)😆
お釈迦様の絵がめっちゃ可愛い‼️
大学でキリスト教を少し学んでみましたが肌に合わなかったです。これから仏教をちゃんと勉強してみたいと思いました。為になるお説教を賜りありがとうございました。
@@玲央-t7x カトリック教会での性的虐待の話をご存知ですか?どの宗教、どの世界にもあります。表面的な事ではなく(宗教にこだわっているのはどなたです?)様々な教えの中にある本質に感動、共鳴する事が大切で、この方もキリスト教を槍玉に上げたのではなく、この話の中に感動を覚えたから書いたのではないのでしょか。あげ足取りは戦いの元。これを書くのもナンセンスかと思いましたが、言葉尻を取るのではなく、何を伝えたいのか見る力を身につけた方が良いのではと思いました。
@@玲央-t7x 自分が正しいと思って信仰している事に、ケチを付けられると腹が立ちますよね。信仰即生活、と言われています。教えが浅く、低いと、いずれ行き詰まりまると言われています。歴史上で、白人達に、ほぼ世界中の有色民族が植民地( 奴隷)にされた、事は知っていると思います。なぜでしょう。また、米国には、昔、インデアンが住んでいましたが、ほぼ全員が、虐殺されました。なぜでしょう。
@@dendohdensetsu8987 神を信じることで悲しみを乗り越えてきました。教えが浅いとは思いません。
「わたしは絵心がないんです」って仰ってた三木住職が描かれたお釈迦様、しっかり拝見しました( ´艸`)。いつも大切なお話を有難うございます。
私は、おしゃかさまが、
くもの糸をきったとかんちがいしましたっ
天国から地獄へー
おしゃかさまの気まぐれで、もてあそばれた
かんだだが、哀れに思えましたが、
浅かったです。
あらためて、原作よみたくなりました.p
三木住職、ありがとうございます~p
雲さん、流石ですね❗
凄く解りやすくて、面白かったです❗(*≧∀≦*)
京都蓮久寺三木大雲上人様が、日蓮大聖人様及びお釈迦様の御霊が入られたかの様な説法を一切衆生にとどきますように。
悪人でも救う仏とは阿弥陀如来の事ですか。仏心[自分の心]クモを助けた天上界の心が少しでも有れば切れななかったのかな。菩提心、感謝の心を備えるのは至難んのことですね。
ありがとうございます。法華経の中にこれほど素晴らしいおしえがあるとは目から鱗です。釈迦牟尼の言葉を基本として、密教では「三平等身」つまり私と衆生と仏この仏とは法身大日如来を指すのですが、自分からみれば相手も仏であり相手を殺したり傷つけることは仏を殺したり、傷つけるということにも言い換えられるのでないかと思います。今回のご法話そのようにご拝聴させて頂きました。デカルトの「我思う。我あり。」とは意味は同じでありますか?
因果応報が来た!
関係ありませんが蜘蛛、良く夢でみます。人が亡くなると必ず出てきます、蜘蛛と天はやっぱり繋がりが深いんでしょうか。
カンダタキック…
カンダダキック!(^^)
因果応報と生まれ変わり死に変わりは絶対に来る!
蜘蛛が呆れて糸切ったのかと思った😆人を見る目が無かったと…😅
カンダタさん、カンダタ君、ウケる。
私が働き 納税することでその税金が他の方の何らかの役に立つと思うだけでもいいのでしょうか?
南無妙法蓮華経 合掌
刑務官も死刑囚を殺したくない!
お釈迦様はわきから生まれた、、、ってところの話の怪しさから
解かないと、何の話も意味をなさない。
先日、新幹線のグリーン車にロレックスの時計をした坊主が
派手な女性とニヤニヤと談笑している仏教界ってどうなんですか?
欲の塊でしょう。
仏教界なんて界はありません。
みな、欲界に生きる仲間です。
僧侶の姿をしているからといって、仏になる修行をしているとは限らない。むしろ在家の方の方がそれらしいなんてこと、ありますでしょう。
この欲界という道場において、水月(悟り)を求め生きること。それが仏教なのではないでしょうか。
一部の人々を指して、仏教を決めつけるのは早計に過ぎます。法の道を求めることに、出家も在家も関係ありません。
ようは人としての在り方の問題なのです。あなたがどう在りたいのか。
誰かの在り方を咎めるより、己が内に宿る真実を求め生きることが大切なんです。
仏教は、この真っ暗で混沌とした世を生きるための、一つのしるべに過ぎない。貴方の迷いを消し、光に向かうための道標になるのなら、べつに他の教えや、自身の見出したものであってもかまわないんです。
釈尊も、自らの教えを小舟に喩えました。向こう側(大悟の境地)に行けるのなら、どんな舟でも、用意出来さえすれば良いのだと。釈尊は、それを用意出来ず溺れ苦しんでいる人たちのために、舟をこしらえた。でもその舟は、向こうに着いたら不要だから捨てなさいと、弟子に伝えています。
だから、どこかの僧侶が溺れ、堕落しているから仏教は胡散臭くて信用に足らないだなんて、決めつけないでください。
一を見ただけで全を否定するのは、幼い子どもの言い訳みたいじゃありませんか。
その欲に負けた僧侶も、貴方も、私だって同じ。人は皆等しく弱く、溺れやすいというだけの話です。
それにそのロレックス坊主は、応報の学びをしている最中なのかもしれません。誰にも、個人の学びの場を奪うことは出来ませんよ。
だから、己が胸に問うてみてください。貴方はどう在りたいのか?何を学びとし、糧にし、人の助けとなるのか?
信じられないものは、信じなくたっていい。そういった選択の先に、人間としてどう生きるのか、そしてどう生きたのか。最期は答え合わせの報いを受けるのでしょう。
人それぞれに天から課された宿題を解く、その道中なんですよ。
最期の答え合わせは、死ぬまでの楽しみにとっておきましょう。そのロレックスの僧侶も、貴方も、私も…。ね?
また、仏教は歴史がとても長いので、釈尊が亡くなった後、弟子たちが、多くの人たちに彼の教えを知ってもらうために、さまざまな尾ひれをつけていったのも事実です。彼の生誕の話も、そのうちの一つでしょう。
しかし、原始仏教を辿ると、実はそんな味つけはなされていません。もっと素朴で簡潔な、詩のようなものでした。以下はその例です。
音声に驚かない獅子のように
網にとらわれない風のように
水に汚されない蓮のように
犀の角のようにただ独り歩め
スッタニパータの一節です。一番最初に釈尊が紡いだ言葉は、虚飾のない、清水のような"うた"だったのです。
仏教と言っても、時代が降るほどに、釈尊の教えの解釈が進み、お経もたくさん作られて、元の姿とは全然異なっていたりします。
お水の美味しさや有り難さをみんなに知ってもらうために、色んな人たちに飲んでもらえるよう、さまざまな味のジュースへと、弟子たちが改変・改良していったようなものです。
そうして元の姿とは全然違っていってしまっても、リレーのように時を超えて受け継がれていく灯火の輝きは、衰えていません。
この、時の摩耗に負けない耐久性を鑑みるに、それだけ、釈尊がたどり着いた教えの境地というのは、万物の理にかなう、本質的なものだったのでしょう。
貴方にもいつか、好みの味つけの"仏教"と出逢える日が来ると良いなあと、個人的には思います。